シエーナ
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この項目では、イタリアのトスカーナ州の都市について説明しています。この都市がある県については「シエーナ県」を、シェーナについては「シェーナ」をご覧ください。

シエーナ
Siena


旗紋章

行政
イタリア
トスカーナ
県/大都市 シエーナ
CAP(郵便番号)53100, 53010
市外局番0577
ISTATコード052032
識別コードI726
分離集落Costalpino, Isola d'Arbia, Taverne d'Arbia, San Miniato, Vignano, Ruffolo
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
公式サイト ⇒リンク
人口
人口53,772 [1] 人 (2017-01-01)
人口密度453 人/km2
文化
住民の呼称senesi
守護聖人Sant'Ansano
祝祭日12月1日
地理
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度20分0秒 東経11度20分0秒 / 北緯43.33333度 東経11.33333度 / 43.33333; 11.33333座標: 北緯43度20分0秒 東経11度20分0秒 / 北緯43.33333度 東経11.33333度 / 43.33333; 11.33333
標高322 (166 - 414) [2] m
面積118.71 [3] km2
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シエーナ県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
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シエーナ(イタリア語: Siena ( 音声ファイル))は、イタリア共和国トスカーナ州中部にある都市であり、その周辺地域を含む人口約5万3000人の基礎自治体コムーネ)。シエーナ県の県都である。カナ転記としては「スィエーナ」が現地音に近い。「シエナ」とも表記される。

中世には金融業で栄えた有力都市国家であり、13世紀から14世紀にかけて最盛期を迎えた。トスカーナ地方の覇権をフィレンツェと競い、またその経済力を背景として、ルネサンス期には芸術の中心地のひとつであった。中世の姿をとどめる旧市街は「シエーナ歴史地区」として世界遺産に登録されている。
名称

Siena は [?sj?na] あるいは [?sjena] と発音される[4]。子音とアクセントの関係から、カナ転記としては「スィエーナ」[5][6]が現地音に近い。

日本語文献では「シエーナ」[6]のほか、「シエナ」[7][8][9][10][11]とも記される。
地理
位置・広がり

トスカーナ州の南東部にあたるシエーナ県の西北部に位置する。州都フィレンツェからは南へ約50km、首都ローマからは北西へ約185km、リヴォルノからは南南東へ約87km、ペルージャからは西北へ約89kmの距離にある。
隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

アシャーノ

カステルヌオーヴォ・ベラルデンガ

モンテリッジョーニ

モンテローニ・ダルビア

ソヴィチッレ

歴史シエーナ共和国庁舎、鐘楼は1344年完成
古代から中世へ

この地方の丘陵上の都市と同様、エトルリア人の居住地に都市の起源があるとされるが、シエーナの古代の姿は明らかではない。ローマ時代には主要な街道からも外れており、キリスト教が伝わったのも4世紀であった。シエーナが重要な都市として姿を現し、歴史の上に明確な位置を占めるようになるのは、中世以降となる。

6世紀半ば、ランゴバルド人は北イタリアに侵入し、ランゴバルド王国を建国した。アウレリア街道カッシア街道といったローマ時代の幹線道路は東ローマ帝国側の勢力下にあったため、ランゴバルド人たちは北方とローマを結ぶ安全な交易路としてシエーナを経由する道をとった。またローマへ往来する巡礼者たちが恒常的にいたことで、シエーナには安定した収入がもたらされ、シエーナは交易の拠点として繁栄を見せるようになった。774年、シエーナの貴族はカール大帝に降伏し、フランク王国の領域に入った。
シエーナ共和国詳細は「シエーナ共和国」を参照
共和国の勃興

1115年、北イタリアの大領主であったトスカーナ女伯マティルデ・ディ・カノッサが後継者なく没すると、その領域は細分化されて自治的な勢力が勃興し、都市国家群が生まれることになる。金融の一大センターとなり、また羊毛取引の重要な担い手として成長したシエーナでは、市民による自治組織(コムーネ)が勢力を伸ばした。1167年、シエーナのコムーネは、司教による統治からの独立を宣言した。1179年には都市の憲章が制定されている。

カンポ広場は、13世紀初頭までには都市の世俗生活の中心として重要な役割を担うようになった。市場やスポーツ行事(サッカーの原型とされるカルチョ・フィオレンティノなど)の場として利用され、また新しい街路はカンポ広場を中心に作られた。1194年、カンポ広場に面した現在の市庁舎のある場所で、土壌浸食を防ぐための壁が建設されており、このことは広場が重要な役割を持つこととなったしるしと言えるだろう。

1240年にはシエーナ大学が設立された。シエーナ大学は法学と医学で知られた。
シエーナとフィレンツェ市庁舎壁画、アンブロージョ・ロレンツェッティ『善政の効果』

シエーナ共和国は、内部に貴族と市民の間の対立を抱えながら、外に最大のライバルであるフィレンツェとの抗争を繰り広げた。教皇派と皇帝派の抗争では、フィレンツェが教皇派(ゲルフ)であったのに対抗し、シエーナは主に皇帝派(ギベリン)の立場に立っていた。


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